廣瀬神社について

当社は、市寸島比賣命・多紀理比賣命・多岐都比賣命を祀り、相殿に天照皇大神・須佐之男命・神倭伊波礼彦命を配祀しています。
明治5年に社号を廣瀬神社、社格を村社と定められ、10月19日を例祭日とし諸々の社殿甍を連ねるお社でした。
明治40年2月1日に神饌・供進神社として指定され、終戦前までは広島西部一円の氏神として崇敬され、毎年9月19日の大祭は盛大な賑わいを呈したといわれています。

社殿

毛利家が総鎮守として廣瀬市伎嶋大明神と称し厚い信仰を集め、境内には樹齢300年以上の大樹や森があり、諸々の社殿がある大きな神社でしたが、昭和20年の原爆によって大きく焼失しました。
戦後、市街地区画整備の結果、境内は以前より狭くなりましたが、昭和22年復興。
假殿を営み、同24年拝殿を同50年秋本殿を造営し翌51年秋にかけて境内整備を実施しました。
写真の通り鳥居・社殿の一部は原爆の風圧にも耐え、今も当時の物をそのまま残しております。

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狛犬

当社には4対の狛犬が奉納されております。
全て被曝しており、台座からずれ原爆の爆風の凄まじさを物語る狛犬や足の部分が一部吹き飛んでしまった狛犬等、傷だらけになりながらも原爆の当時の出来事を伝えております。

 

 

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