由緒

天正年間(1573~1592)此処に廣瀬弁財天という社あり。

毛利輝元がこの地に菩提寺 洞春寺をおいた際に、厚く信仰していた廣瀬市杵島大明神を鎮守社とし、社領を寄せられたと

いわれております。

享保8年(1723)社号を廣瀬大明神と改称。

旧藩時代は廣瀬、十日市より天満、観音、福島に至る

広島西部一円の氏神として崇敬され、毎年9月19日の例大祭は盛大な賑わいを呈したといわれております。

明治5年(1872)社号を廣瀬神社、社格を村社と定められ

広い境内には樹齢300年以上という大樹、杜をなし、

諸々の社殿を連ね宏大を誇る社でありましたが

昭和20年(1945)8月6日原子爆弾のため烏有に帰した。

戦後、区画整理の結果、境内は現在のように縮小されました。

昭和22年(1947)復興、假殿を営み昭和24年(1949)

拝殿を、昭和50年(1975)本殿を造営しました。